介護

母親は大きな交通事故から一命を取り留めたが、苦労の連続だった。

なぜ、意識を失って倒れたのか?直接的な原因はわかっていないが、いろいろと母と話し、地域の包括支援センターの人と面談していくにしたがって、ある程度は理解できた。

地域包括支援センターとは、介護、医療、保健、福祉などの側面から高齢者を支援する”総合相談窓口”です。

母は38歳の時に大きな交通事故に遭い、全身打撲、右足がタイヤに引かれ複雑骨折、あと1本どこか骨が折れていたら亡くなっていただろうという大惨事に遭った。

その後遺症もあったのであろうか、慢性の腰痛はもちろん、時々体の至るところに激痛が走り、その都度、様々な病院に奔走した。ある大阪の病院では不治の病の「線維筋痛症ではないか」、そのほかの病院でも「うちの病院ではあなたの病気は直せない」ということを言われて、何十万円もする器具も購入していろいろと試してはいたが、痛みの原因は分からない。

長年そのような状況でしたが、地元の市民病院で血液内科の有名な先生が診断してくれ、「赤芽球癆」ではないかということで、薬で治療をしてある程度は、体の調子は良くなっていった。

ただ、その病気が厄介なのは、いろいろな薬の飲み合わせで、病状が悪化したり、場合によっては生死に至ることもあることで、最近では、緑内障で目が見えにくくなり、膀胱炎、痔と、これまた、いろいろな病院に通い、薬を処方されていたので、その飲み合わせか、その「赤芽球癆」のため日ごろから貧血気味なので、何らかの拍子に貧血を起こし、倒れたのではないかと推測します。

後ほどの記事で、母の様々な生き様を書きたいと思いますが、貧乏のどん底の中、兄弟2人を大学卒業させ、80歳まで奮闘してきた母を思うともっと前から、介護の問題を考えておけばよかったと猛省しているところです。

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